「江城」武漢の暴れ川は亀と蛇が抑えている?
「江城」武漢は上海まで続く「長江」と、その長江に流れ込む支流「漢江」によって3つのエリアに区分されています。漢江は長江に比べれば小さな支流に過ぎないですが、それでも東京の多摩川よりは大きいです。「江城」というのは、漢江と長江の流域に広がる都市、という意味ですね。
さて、漢江が長江に注ぐ河口付近(↑)では、当然ですが洪水が頻発します。中国には、今から4000年ほど昔、「禹(う)」という人物が、洪水の起こった地域の地形を調べて、水の出口を作ってやり、川筋を整えて氾濫しにくい川にしたという神話があちこちに残っています。黄河の治水の話が一番有名ですが、武漢の漢江が長江に注ぐ河口付近にも、禹が治水工事をしてくれたという話が残っているのですね。
武漢に残る治水神話では、禹を助けるために天帝が亀と蛇を遣わし、亀は土留め用の土を運び、蛇は漢江の水を効率よく長江に排水できる川筋の設計を担当したことになっています。禹は治水工事を終えた後、再び長江が暴れて洪水を起こさないよう、亀と蛇を長江の両側に配置して、長江を鎖でしっかり抑えるようにしました。そして、長いことじっとしているうちに亀山と蛇山になったという話です。蛇山には黄鶴楼が建っています。
さて、この亀山と蛇山ですが、もう一つ面白い伝説が残っています。(後編に続く)
出典:https://baike.baidu.com/item/%E9%BE%9F%E8%9B%87%E4%BA%8C%E5%B1%B1/6164662#3
http://cdmd.cnki.com.cn/Article/CDMD-10511-1017276456.htm
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